コンピュータ以前の写真編集は、インクや塗料を加筆 (retouch) したり、二重露光したり、写真やネガを暗室で繋ぎ合わせたりして行われました。写真編集は写真が誕生したころから行われてきました。写真は社会的に見れば、本質的に写実性を備えています。写真編集は見る者をだまして納得させるために行われたり、物語性や判り易さを強調するために行われました。アメリカ南北戦争のころには、写真は複数のネガから彫版として出版されていました。
ヨシフ・スターリンはプロパガンダ目的で写真編集させていたと言われています。1920年5月5日、前任者ウラジーミル・レーニンがソビエト軍への演説を行った際、レフ・トロツキーも出席していました。スターリンはそのときの写真を編集させ、トロツキーが出席していなかったように見せました。NKVDのリーダーであったニコライ・エジョフはスターリンと共に写真に撮影されたことがありますが、1940年に処刑されると、その写真が編集されました。
1930年代、ジョン・ハートフィールドはナチのプロパガンダへの批判としてフォトモンタージュと呼ばれる写真編集技法を使用しました。
写真のニュース価値を高めるために写真編集を行った最初のジャーナリストとして、1920年代のベルナール・マクファデンと彼の合成写真が有名です。1982年、ナショナルジオグラフィック誌の表紙写真の編集が論争となりました。編集者は表紙に収まるように2つのエジプトのピラミッドの距離を縮めてしまったのです。この件で報道における写真編集の妥当性が議論されるようになりました。反対派はその雑誌が現実には存在しないものをあたかも存在しているかのように描写していると主張しました。その後も同様の問題はいくつか発生しています。例えば、
Redbook (アメリカの女性誌)の表紙にシェールの写真が使われたとき、彼女の笑顔とドレスが修正されています。2005年、マーサ・スチュワートが釈放されたとき、ニューズウィーク誌の表紙を飾りましたが、それには彼女の顔をスリムな女性の体に繋ぎ合わせた写真を使って、刑務所で減量したことを示そうとしました。
写真編集に関する他の論争として、人種問題も絡んだ件が1994年に発生しました。O・J・シンプソンが申し立てにより彼の妻と彼女の友人を殺した疑いで逮捕されると、複数の出版物が彼の顔写真を掲載しました。このとき、タイム誌が写真に修正を加えて顔色がより黒く見えるようにして、囚人ID番号を小さくしました。この雑誌は修正されていない同じ写真を使ったニューズウィーク誌と並んで売られたため、その違いが際立つ結果となりました。
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